ぽっかり空いた時間を臼杵駅周辺で過ごしたい。目的別で最適な観光スポットをご紹介します。
大友宗麟おおともそうりんにより築かれた臼杵城を中心に16世紀後半に城下町が形成される。稲葉藩時代の武家屋敷と寺院が立ち並ぶ二王座付近は「二王座歴史の道」として城下の面影を今でも色濃く残している。山などの地形を削って通した道である切り通しでも有名。大林宣彦おおばやしのぶひこ監督の映画「なごり雪」ではその町並みを見ることができる。
戦国時代に大友宗麟おおともそうりんにより臼杵城の前進「丹生島城にうじまじょう」が築かれた城跡。日豊本線臼杵駅から徒歩5分の距離にある。現在城郭の主要部分は公園として整備され、石垣、空堀、櫓が現存。また、1586年(天正14年)薩摩(鹿児島県)の島津氏との合戦で使用した大砲「国崩し」のレプリカが展示されている。春にはさくらまつりが開催され、夜ライトアップされた桜と臼杵城址は必見。
直線約300mの近隣型商店街となっており、九州で一番古く江戸時代に創業し419年続くカニ醤油をはじめ呉服店、カフェ、飲食店などが立ち並ぶ臼杵市の中心に位置する昔を感じるレトロな商店街。サーラ・デ・うすきでは臼杵の旬情報の発信、屋外イベント開催など、さまざまな楽しい場を提供。シーズンは国内外の観光客でひしめき合う。
大分県と愛媛県に面した豊後水道。特に臼杵湾近海で水揚げされた新鮮な魚介類を味わえる市場。敷地内に隣接した牡蠣小屋テントでは、1カゴ1,000円の牡蠣、その他の海産物を目の前で炭火で焼いて食べられる炭火バーベキューが堪能できる。臼杵駅から徒歩で10分と近く、また臼杵港フェリーターミナルとの中間に位置しており、お土産品を求め大勢の観光客で賑わう場所。
二王座歴史の道の甚吉坂の途中に、独学と我流で発掘調査を行いのちに「明石原人」と命名される骨の発見者として広く知られるようになった考古学者、直良信夫なおらのぶおの生家がある。現在は記念館となっており、当時の写真や明石原人に関する貴重な資料などを拝見することができる。
1600年(慶長5年)、円誉えんよ上人によって開山され、豊後臼杵藩初代藩主稲葉貞通いなばさだみちによって創建された寺院。京都や奈良の木造古塔を参考として、臼杵の名匠・高橋団内が設計し安政五年(1858)に完成した三重塔は、大分県の有形文化財に指定されており、臼杵を代表する観光スポット。
学問の神様こと、菅原道真を主祭神に学業上達、厄除け、失物探出、心願成就のご神徳がある福良天満宮。山田洋二監督作品の映画「男はつらいよ」の「花も嵐も寅次郎」での寅さんの旅先に臼杵が選ばれ、この福良天満宮もロケ地としても有名。春の季節は満開の桜とともに丘の上から望む臼杵市街地は必見。
明治35年(1902年)、廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのために建設されたお屋敷。敷地は千坪で北面に広い庭を配し、大書院の棟・御居間の棟・台所の棟の3棟の建物が畳廊下で結ばれている。木のぬくもりを感じる温かみのある武家屋敷。着物が似合う日本建築の匠。
家内安全、安産祈願、商売繁盛のご神徳がある臼杵八坂神社。承徳元年(1097年)に創建。戦国時代に大友氏が文禄2年(1593年)領主と家臣、居城、領国などの解体を伴い大名の無力化されると、慶長3年(1598年)、太田一吉おおたかずよしの治世に臼杵城三の丸であった現在地に鎮座。明治維新は、社名を「祇園宮」から「八坂神社」に改め、現在も「祇園様」と呼ばれて市民に親しまれている。
江戸時代の天保4(1833)年に臼杵藩の庭園石工の橋本主馬之介がと商人の清水善七の2人が、伊勢参りに行けない人のために伊勢外宮の御祭神である豊受比賣神とようけひめのかみの御分霊を祀って大神宮を創建したのが始まり。木々の間を渓流が流れる様子が、「飛瀑が岩肌にあたって砕け散り、雲龍が玉を争うがごとく落ちては奇岩怪石の間を広く、時には狭く飛沫を上げて疾走する様子がまるで白馬が駆けるようである」とのことから白馬渓はくばけいと呼ばれている。場所は前田地区という山間に位置し、臼杵川上流の支流にある渓谷で、紅葉の名所として知られる。
ぽっかり空いた時間を臼杵駅周辺で過ごしたい。目的別で最適な観光スポットをご紹介します。